銀杏BOYZ-BABY BABY
新宿は小雨だった。
大学の友人達と神宮で野球を見る約束をしていた僕は、前日わざわざ地方から東京に戻
ってきていた。
ほかにも用事はちらほらあったが、メインは野球。正確に言えば、野球と友達が恋しているというビールの売り子を一目見ること、だった。
だがあいにくの雨。
「この小雨なら野球できただろ」
そう空に文句を言いながら、だらだらと新宿に集合し、たいして盛り上がることもないまま3,4軒安居酒屋をはしごする。
日付も変わりそうなころ、友人たちは一人、また一人と帰っていく。
形式的に引き留めるが、一緒に終電を逃す仲間がほしいだけ。みんな耳を傾けない。
結局残されたのは、ビールの売り子に恋している彼(童貞)だけであった。
ゴールデン街に行だらだらと飲み続け、時間は25時。
彼のボトルがいれてあるという御苑方面のバーを目指した。
雑居ビルの地下に入ると、さびれた飲み屋が並ぶ中、目指すバーだけ異様な熱気を放っている。嫌な予感がしたが、雨の中新宿まで引き返すのも億劫だ。
彼と僕は目を見合わせたが、意を決して扉を開けた。
入った瞬間五感を破壊される。
狭い店内に30人ほどの絡み合う男女、立ち込めるたばこの煙。圧倒的な酒のにおい。カラオケの大合唱。熱気熱気熱気、、、
ああ、僕の来るところではなかった…。後悔する間もなく、彼が常連に捕まった。
童貞のくせにいっぱしに女の子に抱き疲れて歓迎されている。
所在のなさオブザイヤーを受賞中の僕は、「デレデレするんじゃねぇよ」と呪詛の言葉をぼそっと吐き(当然カラオケで聞こえないのだが、)安ウィスキーのボトルと炭酸水のペットボトルを受け取って、奥にわずかにあいているソファー席に陣取った。
店内を見回すと、全裸の男が数人。誰彼構わずキスをする女や寿司を投げ合っている男女。地獄絵図である。人間を人間たらしめているのは理性ではなかったのか。
救いを求めて友人の方を見ると別の女の子にべたべたされてデレデレとしている。救えねぇ…。救われねぇよ…。
さらによくみると同じTシャツを着ている人が何人かいる。
「sake部」
なんだその安直な部は。なめているのか?
万年帰宅部だった僕は基本的に「部」に所属している人はすべて尊敬しているのだが、こればかりは許しがたい。
そのカラオケの絶叫とサケブでかかっているのか?やかましいわ。
イライラで手が滑りめちゃくちゃ濃いめのハイボールが出来上がったが、酔わなきゃやってられないオブザイヤーにもノミネートしていた僕はグラスの半分ぐらいを一気に飲み干した。
グラスを机においたその時だった。
ある女の子が急に僕の膝の上に座ってきたのである。電光石火の早業、不可避の速攻であった。
言葉を失う僕、何事もなかったように膝の上で酒を飲み始める女の子。
「ほら、びっくりしてるじゃんやめなよ~」
ともともと僕の隣に座っていた女の子が言う
「いいじゃ~ん、空いてないんだもん」
僕の存在はなかったかのように会話が続く。
僕はそうして椅子男になった。
休み時間、教室に帰ってくると女の子が自分の席に座っているやつ。
あの漫画でよく見るシーン、席を占拠されているいけてないオタクの気持ちが、今わかった。
ただ一つ、僕は席を占拠されたのではなく椅子自体が僕であるという状況。
安部公房なら砂男。
ダメ官僚なら椅子男だ。
太ももに当たる柔らかい感触にさっきまでの怒りを忘れそうである。
ああ、自分が憎い。こんな、こんな横暴をちょっといい感触だからって許していいのか。
イケてる男ならばここでさっと腰に手を添えて、小粋なトークをかますのだろう。
ただ僕は必死だった。怒りを忘れないようにすることにではない。
下半身が反応しないようにすることに。
どうするというのだ
「え、すわっただけなのになんか当たるんだけど~~ww」
これはいけない。本当にいけない。
人間を人間たらしめているのは理性なのだ。
さっきまで周りを軽蔑しきった目で眺め、やれやれ感を出しながらハイボールを飲んでいた男がそれでは格好がつかんのだ。
社会的死はすぐそこに迫っている。
僕の手は所在投げにさまよい、女の子の腰のわきを数ミリ単位でさけ、そしてそのまま触れることなく前へと突き出された。そう、ビーダマン状態である。
前へならえをしながら、僕は敗北を認めていた。
嬉しい、座られて嬉しい。
そのソファーには男も沢山いるのに、その子は僕の膝に座ったのだ。
誇らしいではないか。自己承認欲求がみるみる充足されていくのを感じる。
謎の自信が湧いてきたその時、
その曲は流れ始めた。
イントロが流れると、周囲の空気が変わる。
青春の土臭い香りがする。
今までキスをしていた男女も、裸で女の子に迫っていた男も。
みんな歌っている。
ごめん、僕はお前らと違うと思ってしまって。
気づいた。
みんな童貞だったのだ。
みんな今も心は童貞なのだ。
聞いてください。
BABY BABY